テニスの歴史

てのひらラケット「ジュ・ド・ポーム」がテニスの起源

「ジュ・ド・ポーム」という12世紀のフランスの修道院などで行われていた遊びがテニスの起源といわれています。
ジュ・ド・ポームのポームは「手のひら」のことで、羊の皮を縫い合わせた中に動物の毛をつめて作ったボールを、中世のカトリック修道院の石畳の中庭で、修道士たちが手袋をはめた手でボールを打ち合って楽しんだそうです。最初は手で打ち合っていたそうですが、痛かったのでしょうか、グローブをはめたり船の櫂のような物を使ったり、スピードを出すために長い柄をつけたりと変化したようです。

500年前のラケット

イギリスのウィングフィールド少佐(Walter Clopton Wingfield)が屋外でできる新しいラケット・ゲームとしてラケットとネットとボールとそのルールをセットにした遊びに3年間の特許を取りました。このゲームにウィングフィールドはスファイリスティク(Sphairistike:ギリシャ語でball gameを意味する)あるいは、このゲームの特徴が芝生をコートとして使用したことからLawn Tennisという名前を付けました。彼の発明したこのゲームは屋外で男女ともにでき、運動になるという点でこれまでのいかなるスポーツとも異なっていました。あっという間にこのゲームはローン・テニスという名前で人気になりました。

今までのスポーツと違い、女性も楽しめるというテニスの特徴が受け入れられ、婦人たちは馬車に乗り、バスケットに紅茶とお菓子を入れてクラブに集まり、ボンネットをかぶり、長いスカートに手袋という優雅な姿でテニスを楽しんでいました。

優雅な姿でテニスを楽しむ婦人たち

神奈川県横浜市にある山手公園は、1870(明治3)年に横浜居留外国人の手によってつくられた、国内初の洋式公園です。
日本で初めてテニスがプレーされたテニス発祥の地であり(1876年6月に山手公園でテニスが行われたという記事が、『ジャパン・ウィクリー・メール』という新聞に書かれています。)、園内の「テニス発祥記念館」では、テニスの歴史を知ることができます。

その場所に、1878年、在日イギリス婦人たちがLadies Lawn Tennis and Croquet Club(レディーズ・ローンテニス・アンド・クロッケークラブ)を結成しました。 このテニスクラブは、「横浜インターナショナル・テニス・コミュニティ(YITC)」という名で今もこの地に残っています。
『ローンテニス』というのは、一般的なテニスのことです。壁に囲まれた場所で行うロイヤル・テニスやコート・テニスと区別するためにこの名称が使われていました。

出典:「テニス発祥記念館」ホームページ
「横浜インターナショナル・テニス・コミュニティ」ホームページ

 

テニスの発祥地の記念碑